naokoのグラーツ滞在日記

オーストリアのグラーツという街で半年間生活していた時の記録です。

2014年03月

旧ユーゴ一人旅 -きっかけと準備-



旧ユーゴ旅行。


本当に贅沢な話なのですが

たった数ヶ月なのに

ヨーロッパで暮らしていると

「どこへ旅行へ行こうか」と考える時

あの有名な観光地へ、あの憧れの素敵なクラシカルなあの場所へ

とはあまり思わなく

有名な観光地は、観光地になってしまっているから。

いつかきっと年をとってから行くことがあるかもしれないから。

その土地の歴史を、その土地の文化を、知らなくてはいけないことを

本物だからこそ伝わる迫力を。

そういうものを感じる場所へ行きたくなります。

残されている時間が少ない、制限された環境にあることも

より貪欲にしている理由なのかもしれません。



イタリアのローマ、フィレンツェやフランスのパリ、スペインのバルセロナ。

行ってみたい気もするけど、それよりも行っておきたい場所がある。



漠然と行きたいと思っていた場所はいくつかあって

出国前に友人が「最近きれいで人気らしいよ」とお勧めされたクロアチア



風変わりな子供だった私。

小学校6年生の冬休みの自由研究は「ボスニアヘルツァゴビナについて」

池上さんのような人が書いたと思われる、サルでもわかるニュースの本を参考に

ボスニア紛争の背景と現状についてまとめたんだった。

たぶんほとんどわかっていなかった気もするけど。

小6ということは、1994年ころ。まだ紛争の真っ只中だったんだろう。



紛争のイメージの強い旧ユーゴ諸国。

興味はあるものの、治安が悪そうで、一人で行くのはちょっと不安が。



一歩踏み出すことを躊躇していたのでした。



そんな時、ポーランド旅行で知り合った、一人旅の女の子がクロアチア一人旅をしたと。

そういえば、行くと話していた記憶が。

その報告があまりに楽しそうで、私も行きたいという気持ちがむくむくと沸いてきました。



私の初めての職場の最初にできた後輩。

社会人になってから世界一周旅行に行っている彼女

東欧、旧ユーゴはとても濃厚だったと

話していたのが自分の心のどこかにひっかかっていたような気がする



行くなら今しかない!!



ポーランドの時にも使用した、長距離バスの行き先と値段、スケジュールのパンフレット。

穴があくほど読み込み

ネットの情報も調べ、旅の計画を立て始めました。




都市はどこへ行くべきか

一体、週に何本、一日何本アクセスがあるのか

飛行機?バス?電車?

どこをどう通って、どんな公共交通機関を使用して

日本の乗り換え案内のような簡単なサイトがないので

地道に

旅行者のブログを読み

現地の言語のよくわからないバス会社のサイトで検索し




調べても調べてもなかなかつながっていかない。

グラーツからは週に1本しか出ないバスがとても多い。




そうこうしていると


夫が「俺も行きたい」と。



サラエボ事件から100年
ボスニア紛争から20年

ボスニアだけ行こうかなと。


週末に、サラエボで集合することにして


なんとかアクセスがつながるように旅の計画を

行きたい場所にはきちんと行けるように。




一体、宿泊するのか

夜行バスで夜を越すのか

バスのチケットは事前に買えないようだが、現地でいつどんな風に買うのか。


通貨も、言語も

すべての国で異なるよう




本当に、天気がいいのにどこにも出かけずに調べ続け

夫が帰宅しても夕食も作らず

ひたすらパソコンに向かい続け

外食に連れ出される始末。




なんとなく行けそうな都市がわかってきて

アクセスもほぼバスでつながりそうな感じ



かつて、世界一周旅行をした後輩に連絡すると

もし時間があるなら

予定していなかったセルビアへも、ぜひと。

それを追加して調べつつ




行く前の準備を始めます。


まずは、普通の旅の持ち物。

着替え、アメニティ、常備薬。



前回の旅でも容易した
「旅ノート」の作成

今回はこのノートで。
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行く予定の国、都市の通貨の名称と円とユーロのレート


都市間の調べた範囲内のバスアクセスの時刻と料金を一覧に
バスターミナルのチケットオフィスの開いている時間と、換金、ATMの設置状況


バスターミナルと市街地、ホテルが多く存在する地区のおおまかな位置
(サラエボは人種によってバスターミナルが異なり、その2つはとても離れている!!)


最低限見ておきたい施設についての曜日や場所、注意点の調査。



もしもの場合の緊急連絡の準備

各国の大使館の位置と連絡先

各国のクレジットカード紛失時の連絡先

パスポート紛失時の対応方法の準備

保険などの情報も

自分の家族などの連絡先、さまざまな連絡方法の準備。



海外で、貴重品を肌身離さず身に着けるポーチ。

服の中、首からかけるか、腹巻状にするあの有名なやつ。

いつもは、夫婦で動くので一つあれば十分。

今回は、夫と別々の移動になるのでもうひとつほしいところ。

慣れない都市で、変わったものを探すのは一苦労。

2日間くらいかかってようやく見つけました。



あ、あと

夫のサラエボまでのバスチケットと宿泊する宿もなぜか私が手配。



あと、ちょっと心を痛めながら、歩き方のカット。
薄くなると、持ち運びに本当に便利。
ごめんなさいと思いながら、はさみでちょきちょき。
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そんなところでしょうかね。



最初のバスチケット

スロベニアを越えて、クロアチアまで17ユーロで行けます。
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すぐに換金できる環境かわからなかったので
バスも乗り換え時間が短かったし
クロアチアの通貨、最低限使いそうな分だけ銀行で換金。
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そんなことをほんの数日。たぶん5日間くらいで大急ぎでして


出発です。




オペラ座でオペラ



グラーツには、オーストリアで二番目の規模をほこるオペラ座があります。

冬はオペラの時期。

3月いっぱいは、連日オペラの上演があります。

オペラ初心者の私たち夫婦。

2月はじめに

オペラ座体験として

ミュージカル

「アラジンと魔法のランプ」を見てきました。

子供が多く、わいわいとした雰囲気。

言葉はドイツ語でも、はっきりとしたキャラクター

有名なストーリー、華やかな舞台演出。

十分楽しむことが出来ました。



そろそろ、本物のオペラを見てみようか。

「魔笛」がわかりやすいし、曲も有名でいいよ。

お勧めされた作品。

ちょうど3月に上演しているようなので、見に行ってきました。

これは、旅に出る前の話。

やはり、入り口からすごい雰囲気
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席の料金は、ミュージカルより少し高め。


見えにくい席は3ユーロ、高くても30ユーロ台というミュージカル。

オペラは、最高で60ユーロくらいでした。

それでも、日本から比べたらずいぶん安いですが。

前回は10ユーロくらいの席を。

今回は、3階席で15ユーロの席にしました。

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天井が近い
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1ユーロ140円くらい。

日本で映画を見るような値段。

オペラは、特別なものではなくて

気軽に見ることが出来る、日常にとても近いものなのかもしれません。



前回は、ちびっこばかりでしたが

今回は大人もたくさん。

もっと、大人ばかりかと思っていましたが

わかりやすいストーリーだからか、子供のすがたもちらほらありました。


始める前と、休憩時間は

こうやって、広場で飲み物を飲んだり、軽食を食べたりします。

ドレスではなく、いつもよりちょっとだけオシャレをしている子供たち
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白シャツの少年たちがかっこいい
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そろそろ上演開始
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下に見えるのは、ボックスの席。

それぞれにドアがついた入り口があって、壁で仕切られています。

ちょっと高いけれど

家族でゆっくり見られるので

子供と一緒の家族にはいいだろうなー
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ホールの出入り口
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席番号はこんな感じにふってあります
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ずっと昔から、この劇場を大切に使ってきているのだろうな。
天使のオブジェ。
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演奏家もこの距離。
私たちの席では、手すりの壁に隠れて演奏者全員の姿が見えなかったけれど、面白かった。
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休憩
外の空気を吸えるスペースが
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街中で、民族衣装を売っているのをよく見かけるんだけど
オペラ座でも、着ている人をけっこう見ます。

ちびっこが着ていると、本当にかわいい。
これは、大人だけど。

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こんなに有名なタイトルなのに

ストーリーはぜんぜん知らなかったので、予習していってよかったです。

そして、曲は、意外と知っているのも多い。ドラマとかバラエティとかCMで耳にしているのかな。

けっこうなじみのある曲でした。

舞台は、ファンタジーだから自由にやれるとか聞いたけど。



オペラというと、もっと堅苦しく

舞台装置も少なく、黒い服を着た太った人が、直立不動で声高らかに歌うのかと思っていたら

ちょっと違ったようで。


けっこうわかりやすい、細かい舞台装置。

服装も、けっこう普段着のようなラフなもの。


ミュージカルに近いような雰囲気すら感じました。


古典のオペラといっても

解釈とか、演出の方法によって

変わるものなんだと実感(これしか見たことないけど、ネットで見たものと比較すると)



帰り際、

若い女の子4人が記念撮影していました。

なんかいい雰囲気ですね。

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魔笛の有名な曲を紹介


夜の女王のアリア



パパパの二重唱





俺は鳥刺し


鈴の音

これ、小学生の時かな?日本語で歌った記憶があるなー。

トラム

日本の公共交通機関。

JR,地下鉄、バス。

いずれも、チケットを持っていないと利用することが出来ません。

利用するためには、チケットを用意し、それを提示することで

乗車することが出来ます。


グラーツというか

おそらくヨーロッパ。

チケットは、もっていなくても乗車出来ます。

基本的にチェックはありません。

定期券や一日券、1時間券。

それは、ただ持っていればいいのです。

誰に提示するわけでもなく。


回数券は、乗車と同時に、パンチングが刻印が必要です。


私は、グラーツでは、半年フリーパスを購入したので、基本的にはただ持っていればよく

誰かに提示するという機会はあまりありません。


ただ、時々誰かがチェックしに現れるのです。

そして、持っていないと

その場で乗り物から下車させられ、多くの罰金を取られたりするらしい。


ヨーロッパ諸国を旅する時

国によって、トラムやバス

チケットの購入方法や刻印方法が異なります

なので、すごくどきどきします。

間違っていて、もし、誰かにチェックされてダメだったら。


都市によって、チェックする頻度は違うようですが


クラクフに行ったときは、初めてのったトラムですぐにチェックされました。



グラーツでは、今まで1回しか会っていません。

しかも2ヶ月くらい経ってだっただろうか。

普通の服の、普通のおばさんに話しかけられ

言葉がわからなかったので

「私に質問してもしょうがないでしょ。何もわかりませんよ」

ときょとんとしながら、にこっと笑ってみたら

怖い顔になった、チェックマンでした。

チケットはちゃんと持っていたので大丈夫でしたけどね。

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ペンキ塗り

週末はもともと予定が入っていたので

近場でお出かけ。




それもあったから、この日程で

東欧旅行をしたんだった。

春になって来たので

勢いを増して行動しています



これが終わったら

ようやくほっと一息。

かな。





観光の本番を迎える前に

街の再整備ですかね。

ぺんきやさんがペンキの塗りなおし

建物にセメントをちょっとたして補修

道のタイルははずして、きれいにつけかえ。


すごく小規模に

二人くらいえちょこっとやっている姿をよく見かけます。

ペンキを服にいっぱいつけておじさんが歩く姿も見かけます。


ペンキ塗りって、日本ではあまり見ないから、つい見入っちゃいますね。




うちの近所でも。

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旧ユーゴ ほぼ一人旅   -無事報告-


約一週間の旅行を終え、無事帰宅しました。

おそらく4月になると、私の滞在条件では(ビザなし)

陸路でのシェンゲン協定国内の移動

もしくは 空路オーストリアから直接シェンゲン協定外への出入国

以外は不可能になると思われます。



興味はあったものの時間的に無理かと思っていたのですが

ポーランドの旅行で知り合った、一人旅のパリ娘。

彼女が今月一人でクロアチア旅行をしたと聞き、猛烈に私も行きたくなってきたのでした。



他の予定を考えると、出発はいなしかない!!

ということで、アクセス、宿泊、どこの街へ行くか。

大急ぎで準備して、行ってきました。



バスも最初の1本だけ、宿も最初の一日だけ予約。

あとは、行く先々で直接購入。

うまく進めるのか、治安はどうなのか。

予定通り、進んだり、帰ってきたり出来るのか。

どきどきしながらも、予定通りにいかないこともありながら

なんとかやや無事に帰ってくることが出来ました。

数多くの反省点はあるものの

行ってよかった。心底思える旅行となりました



クロアチアドブロブニク

アドリア海に面した、赤い屋根と白い壁の美しい、こじんまりとした町。
1990年代の独立の際の戦争では、町の多くが破壊され、世界遺産取り消しの危機にも瀕していた場所のようですが、すっかりと美しい姿となっていました。

魔女の宅急便を連想するような街。
本当はストックホルムをモデルにしているらしいですが。

天気も最高。
山の上のビールも最高でした。
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ボスニアヘルツァゴビナ サラエボ

第一次世界大戦のきっかけとなったセルビア事件から100年
サラエボオリンピックから30年
ボスニア紛争から20年

サラエボにとって今年は大きな節目の年のようです。


オーストリアの皇太子がセルビア人に暗殺された現場。ラテン橋
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ボスニア紛争では20万人の死者、200万人の難民が出たそう。
死者の埋葬が追いつかず、埋葬する場所もなく
かつてオリンピックを行ったスタジアムに死体が並べられていたとか。

現在その場所は、紛争死者の墓地、慰霊碑となっていました。
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セルビア ベオグラード

ここも紛争の際、NATOの空爆を受けたビル

幼かった私にもなんとなく記憶にあります。現在も、そのままの形で保存されていました。
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またしても、膨大な写真にうずもれ

荷物の片付けにも追われ

うんうんいいながら、旅の整理と復習をしつつ、

そのうち旅の報告をきちんとしようと思っています。


まずは、勉強不足のまま旅立ったので、旧ユーゴ解体の複雑な

宗教、言語、人種の背景をきちんと勉強しなきゃなー。


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