ウィーンといえば、650年も続いた、ハプスブルグ家の繁栄と悲劇の王朝劇。

宮殿とか、王宮といった華やかな文化が今も残されています。


私もオーストリアに来るまでよく知らなかったんですが、ハプスブルグ家の歴史について簡単に紹介。

ヨーロッパの歴史になるので、根底からやると膨大になるので、観光が楽しくなる程度に簡単に。




ハプスブルグ家は、13世紀から20世紀はじめまで、約650年間続いた王朝。

全盛期には、ヨーロッパの大部分と南米まで統治していました。

その帝政の中心となったのがウィーン。


現在もその面影を残す


家系図から。

きっと、詳しい人は、複雑怪奇な一族についていろいろ知っているんだろうけど。

観光のポイントとなる、2大女帝とその夫について。これだけ知っていれば、けっこう観光が楽しくなる。

やっぱ、人は悲劇のヒロインとか好きなんだなー。


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1.ルドルフ1世

もともと、ハプスブルグ家は、スイスの小貴族。1273年にルドルフ一世が神聖ローマ帝国の皇帝に選出されたことが始まり。

たしか、周囲からあまり期待されてきなかった彼。権力争いの中で、形だけの皇帝として置いて、他の者が実権を握るべく選出されたが、意外と実力者で、ハプスブルグ繁栄のきっかけとなった。はず。

たしか。


2.マリア テレジア

15世紀に政略結婚で勢力拡大していったハプスブルグ家。
「戦いは他の者にさせよ。汝は結婚せよ」という言葉がある。


そして、18世紀。ハプスブルグの全盛期を築いた女帝。

それが彼女 マリアテレジア

23歳で即位し。16人の子供をもうけ、次々と政略結婚をさせた彼女。

この風格ある姿。
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政略結婚のこの一族で、意外にも大好きな人と結婚し、おしどり夫婦として有名な彼女。
若いころはとてもかわいい。
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ベルサイユのバラでも有名な、マリーアントワネットのお母さんです。




3.マリーアントワネット

ベルサイユのバラの主人公だったり、映画にもなっている彼女。
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マリアテレジアの末娘。

政略結婚で、次々と領土拡大、勢力拡大をしていたハプスブルグ家。

覇権争いをしていた、フランス・ブルボン家との同盟関係を深めるべく、1770年フランスのルイ16世に嫁ぐ。

愛らしい容貌で当初は市民に愛された。しかし、まだ幼さから贅沢を好み財政を圧迫。

市民の苦しい生活を理解しない「おなかがすいたらお菓子を食べればいいのに」という言葉がある。

民衆の反感を買い、フランス革命で幽閉、断頭台で死刑となる。

贅沢さ、悲劇というところが、いかにもハプスブルグっぽい。

肖像画は意外とかわいくない。当時の価値観かな。
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4.エリザベート (愛称 シシィ)

悲劇のヒロインの代表。美貌、悲劇、数奇な生涯。

ハプスブルグをぎゅっと濃縮したような人。今なお人気があり、ウィーンのガイドブック、観光スポットはシシィであふれている。

ハプスブルグ最後の皇帝の妻。
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・姉の縁談の席についていって、変わりに嫁ぐことになった。政略結婚で。15歳のとき。

・宮廷生活になじめず、姑との確執も。

・夫は妻を愛していたが、仕事に忙しく、孤独な日々。「結婚とは不条理な制度。売られてきた。後悔」と。

・姑により、子供と引き離された生活。孤独から、美貌の維持にのめりこむ。
 生の子牛肉汁やイチゴパック、オリーブ油浴、卵白ジュース。5kgにも及ぶ髪の毛の手入れ。コルセット装着に毎日1時間。

・息子が、自殺。その後、生涯喪服を着て、放浪してすごしたという。

・自身は、イタリアの湖畔で、イタリアのアナーキストにヤスリで刺されて死亡。犯人は「貴族なら誰でもよかった」と、特に彼女を狙ってはいなかった。というのも、なんだか逆に悲しい。

すごい人気で、宮殿にシシィが美貌を維持した部屋と道具が展示されていたり。
王宮にシシィ博物館があったり。

ハプスブルグ家、二大美女。

マリアテレジアか、シシィかみたいな。 私は、マリアテレジア派かな。
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5.フランツ・ヨーゼフ1世

エリザベート(シシィ)の夫。
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けっこうちゃんとした人なのに、すごく不幸。

・18歳で即位し、68年間動乱の世を治めた。

・実質合憲で、質素な生活を好んだ。

・息子ルドルフは、倉庫かどこかで、どこかの女と拳銃で心中。

・妻は暗殺される。

・息子が死んだので、皇位継承者となった、甥のフランツ・フェルディナントはサラエボで暗殺。第一次世界大戦のきっかけとなる。

・自身も、第一次世界大戦中に息を引き取り、その2年後にハプスブルグ帝国も終焉。



ハプスブルグの結婚事情

領土拡大のために、他国と政略結婚をどんどん行った。

しかし、それ以外の結婚、ほかの一族と結婚することで、勢力を奪われるのを恐れ、姻族結婚をくりかえした。

そのためか、しゃくれ顎、厚い唇。という風貌がハプスブルグの象徴的な顔立ち。

また、病弱あったり、精神的におかしい人も多かったとか。


ハプスブルグ顔

ふざけているようにしか見えない。
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以上!!


では。ウィーンの観光を続けます。




オーストリアに来る前に、日本で読んだ本。







帯がよかった。
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