naokoのグラーツ滞在日記

オーストリアのグラーツという街で半年間生活していた時の記録です。

クラクフ 【ポーランド】

お土産シリーズ ポーランド 


旅行好きの私ですが、国内外問わず、あまりお土産は買いません。
ついテンションが上がって買っても、使わないものが大半。
それより、生の空気をじっくり味わったほうがいいかなと。


特に、オーストリア滞在中は、これから日本への帰国も控えていたので、あまり荷物は増やせない。
買っても、夫と二人でちょこっと食べるものや飲むもの。もしくは友人へ出すポストカードくらい。


でも、お土産屋さんを見るのはけっこう好きです。
その土地の、雰囲気が伝わってくるし、かわいらしいものが多かったりして。




ヨーロッパ滞在中、最初の一人旅の目的地。

ポーランドのクラクフ。

美しい町並みと、歴史について学ぶ。
バランスよく、興味深く、とても印象的な都市でした。


旧市街
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ヴェリチカ岩塩坑
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アウシュビッツ 第一収容所
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ビルケナウ 第二収容所
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旧市街にある 織物会館というお土産屋通り
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日本よりずっと緯度が高く、北にあるポーランド。

毛皮に、手袋、セーター。2月だったということもあって、防寒対策が充実。うしろの民族衣装もカラフルで東欧っぽい。
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琥珀の産地らしい。
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木製品。 ヨーロッパは様々な形態のチェスが売られていたのが印象的。
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かわいらしい
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キリスト関連のものも多かった。
ユダヤ教と、キリスト教と。
現在はそれぞれどういう位置関係、どういう感情ですごしているんだろうと
気になりながら見たもの。
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小物入れ。濃い鮮やかな色合い。東欧っぽい。
こういうのって、買ってもなかなか使えないけれど、見るのは本当に楽しい。
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ヴェリチカ岩塩坑にて。塩で作った像。 ちょっと怖い。
でも、買う人いるんだろなー。これ、家に持って帰って、どうするんだろ…。
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これもヴェリチカにて。
ドワーフかな。かわいい。
ポーランド一番のお気に入り。
買ってないけど。
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ユダヤ料理のレストランにあった、お土産。

ユダヤの衣装で、ユダヤの音楽を演奏している姿なのだろう。
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街角で何度も見た売店。
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日本までのお土産には向かないけれど。
帰りのバスで、これ食べたな。

ベーグルは、ユダヤのリング状のパンが発祥なんだとか。もしやこれ??
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ポーランドのローカルフード ピエロギ。
肉やマッシュポテト、チーズが入った餃子のようなもの。
真空パックみたいなのを買って帰って、グラーツで夫と一緒に食べました。
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世界中で見る、クノールのスープ。
日本だと、「コーンスープ」「きのこポタージュ」なんかが定番だけど、
それぞれの国の、ローカルな味付けのものが売っていて面白い。


スーパーで、クノールスープの棚をしばらく見ていたら
知らない人が
「これは、ポーランドの伝統的なスープだよ。これは、何味。あれは…」
と解説してくれたなー。


安くて、手軽で、保存性も高くて。ローカルの味を味わえるもの。
材料の絵が描いてあるので、言葉がわからなくてもなんとなくわかるのもいい。
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いくつかお土産に買ってみました。
左から2番目のきゅうり味。

怖くて、まだ飲めずにいます。興味があって、日本まで持ってきてしまったんだけど。

日本だとクレームがくるんじゃないかというくらい、ガーリックの香りが強いものが多いと思う。
でも、いまのとこ、どれも美味しかったです。
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パッケージがかわいいビール。
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運びやすい缶ビールをお土産に。全部かわいい。
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ポーランドのローカルなお酒。これも購入。
左が、蜂蜜のお酒。甘くてアルコールがきついもの。ストレートで。
右は、ズブロッカ。桜餅のようなほんのりと草の香り。アップルジュースで割って。
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ポーランドらしくはないんですが、駅の中のショッピングモールに、日本食品のお店がありました。
ヨーロッパの田舎に住む、日本人にとっては最高のお土産屋さん。

定番のSHINODEの米。
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小豆島のマルキン醤油。 これ、購入!
キッコーマン醤油、ブルドックソース、ポン酢も。
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いなりずしの素の缶詰。1000円!
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梅ぼしっておいしいよ。

うしろにマヨネーズって文字見えるけど。これは、ちょっと怖い。
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うどん。長く日本から離れれると、意外とこれも食べられるようになるから、不思議です。
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最後に。

アウシュビッツ収容所にて。

各国言語で書かれた、施設の説明パンフレット。日本語もありました。1冊150円くらい。
ガイドの中谷さんの説明を半日受けたので、それで十分という思いもありましたが、何か形に残るものを自分の手にして、帰宅したい。
このことを、忘れたくない。

そんな思いから、購入しました。

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これも、アウシュビッツで購入したポストカード。
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アウシュビッツへ行く人は、近郊のクラクフへ滞在することがほとんどだと思います。

ただ、クラクフの市街地のお土産屋さんでは、クラクフの美しい風景の写真のポストカードばかりで
アウシュビッツのポストカードはほとんど目にしませんでした。

負の遺産に対して、観光資源としたくない。
もしくは、そのことを認めきれない。
ということが、もしかしたらあるのかもしれない。
そんな風にちらっと思いました。

ポーランド人は、ユダヤ人に対して加害者というわけではなくて
むしろ、ポーランド人はドイツにひどい目にあわされた被害者という立場。
首都ワルシャワは壊滅状態にされたり、ポーランド人の多くも収容所で強制労働につかされたり
戦後も、ロシアに支配されて、自由とは程遠いことにしばらくなっていたり。
だからこそ、観光資源に出来ないのだろうか。

広島では、原爆ドームのポストカードってどういう存在なんだろうか。


このポストカードに、ここでの体験を記して、このことを伝えたいと思った友人に送りました。
それは、自分にとっては、必要な行動だったと思うので、購入しておいてよかったです。




美しい風景のポストカード。
緑に囲まれた旧市街。
これはこれで、いいんですけどね。
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お土産だけで、写真整理していたら、けっこう面白かったので

ぼちぼちと、続けてやってみようか。と思っています。

加藤登紀子「今日は帰れない」パルチザン


帰国してまもなくの頃。


民放のバラエティにうんざりして
ほとんどテレビをつけずにすごした1週間
なぜだったか、ふとNHK BSをつけてみた。
そこでやっていた番組。

NHK BSプレミアム 「旅のチカラ」

毎回、各界著名人が旅人となって、世界各地をある目的を持って旅をし、その中で自分を見つめ直し、次のステップを踏み出す「チカラ」を得ようと奮闘する姿を追う。
という番組。

2013年9月に終了しているので、再放送だったのか。


今回の旅人は、加藤登紀子。

70才の節目を迎えるシンガー・ソングライター
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よくは知らないけれど、紅の豚が好きな私。
グラーツでは、生活のBGMとして、時々加藤登紀子の「時には昔の話を」を聞いていた。
加藤登紀子は、この映画のジーナ役の声優もしている。



旅の舞台は、ポーランド。

聞いたことがあるような、ないような。
きっとないんだろうけど
なんとなく耳に懐かしい気がするこの曲


「今日は帰れない」
彼女の持ち歌のこの曲のルーツをたどって、ポーランドをめぐる旅であった。




グラーツ滞在中 私の人生初の海外一人旅 その行き先はポーランド

そして、ナチスドイツの占領や ポーランドの独立について触れた旅であった。




クラクフの美しい町並み

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そして、アウシュビッツ強制収容所
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この曲。
「今夜は帰れない」
恋の歌かと勘違いしそうなタイトル。

AKBが「今夜は帰らない」とい曲を歌っているらしいし…。


本当は、第二次世界大戦下、ナチスに抵抗したパルチザンの歌 Dziś Do Ciebie Przyjść Nie Mogę


この曲は、ゲリラ活動に参加するため、もう恋人に会えないと死を覚悟した反ドイツのポーランド・パルチザンの心情を歌った歌であり、第二次世界大戦末期、1944年の「ワルシャワ蜂起」の時、市民の間で歌われたものだそう。



加藤登紀子の旅の始まりはナチスドイツに徹底的に破壊しつくされ、そして市民の努力により復元、復興された美しい町並み。ワルシャワ。
私は、戦禍を逃れたクラクフしか行っていないのだけれど、
あの旅を思い出し、胸を熱くするものがあった。



30年前からこの曲を歌っている加藤登紀子。
町でこの歌を歌うと、市民は知っていると、この曲を口ずさむ。
涙を流しながら歌う老人もいた。

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「ワルシャワ蜂起」
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ占領下のワルシャワで、ポーランド亡命政権を支持するレジスタンスや市民が、1944年8月にソ連軍の呼びかけにより、ドイツ占領軍に対して起した武装蜂起。
この武装蜂起に結局、ソ連軍が救援せず、約20万人の兵士、市民が死亡して、蜂起は失敗に終わった。そして、その後、反撃に転じたドイツ軍に、ヒットラーはワルシャワの徹底的破壊を命じ、ワルシャワは瓦礫の街と化した。圧倒的な重火器・戦車・火炎放射器でドイツ軍の懲罰的な攻撃で、市民22万人が戦死・処刑され、ワルシャワは焦土と化した。1945年、ナチス・ドイツ敗戦とともに、今度はポーランドはソ連の占領下に置かれたのである。



第二次世界大戦後、この曲の作曲者は不明とされていた。作曲者も、時期も、場所も。この曲を30年歌い続けた加藤が、それに関連する人、場所をめぐりルーツを探るという番組内容。


番組の中、この歌が生まれたのは、ポーランドの地方都市「ルブリン」、そこを拠点に活動したパルチザン、「ネルヴァ部隊」だということが明らかになる。


ユダヤ人、ナチスに抵抗するポーランド人が収容されて、そこで命を落としたという「マイダネク絶滅収容所」
ネルヴァ部隊の隊員の多くは、この収容所で命を落とした。
作曲者は、そのネルヴァ部隊の支援者。「スタニスワフ・マギエルスキ/Stanisław Magierski」氏


ナチスドイツが去ったポーランドは、親ソ連政権の手に渡る。
開放という名の、支配。


「マギエルスキ」氏は、パルチザンの支援者であったことから、新たな政権により投獄される。それは、パルチザンの抵抗を恐れたため。

自らの危険を感じた、マギエルスキ氏は、自らが、この曲の作曲者であることを、公開しなかった。

また、その後、東欧民主化運動が盛んになった1960年代。ワルシャワ放棄を描いた「今日は帰れない」が上演される。その時も、作曲者が明かされなかったという。



そして、今。
30年この曲を歌い続けた、加藤登紀子が、その事実に出会った。


「今日は帰れない」

今日は君のところには行けない
すぐに夜の闇の中を行かなくちゃ
窓から僕を見ないで その眼差しは霧の中に沈む

愛する人よ 僕が森へ寝に行くのを知ってどうするの
これ以上ここに居られないんだ 森の仲間が待っているから
これ以上ここに居られないんだ 森の仲間が待っているから

もし春までに僕が帰らなければ
僕の兄弟が畑に種を蒔くよ
僕の骨に苔が生え 広い土地を肥やす

或る朝 畑に出て麦の穂に手を添え
恋人のようにキスをしておくれ
僕は麦の穂の中で生きるだろう




加藤登紀子は、この歌をアンナプルクルという歌手が歌っているのを聞き、自らも歌いたいと、
彼女が来日しているときに、直接彼女に話し、了解を得たそう。

アンナプルクル ポーランドの民主化を訴え、国外追放・亡命先のパリで「今日は帰れない」を歌った歌手。

アンナプルクルによる 「今夜は帰れない」




ただ、日本に住んでいたら、見なかったかもしれない番組。
見たとしても、何の感想も持たなかったかもしれない番組。

この半年の滞在が、たくさんの旅が。
自分のアンテナを多くし、たくさんのものを引っかけてくれている。
目を向けさせてくれている。
そして、掘り下げて調べてみようという、気持ち、行動力、エネルギーをいまだにくれている。

そんな気がしています。






*パルチザンとは
占領軍への抵抗運動内戦革命戦争における非正規の軍事活動、またそれを行なう遊撃隊およびその構成員。
特定の集団をさすものではないので、「歴史的な主なパルチザン」のように表現される。
私が聞き覚えがあると思ったのは、旧ユーゴのパルチザンについて勉強したことがあったからだったのだろう。



マイダネク強制収容所
ナチスドイツが、第二次世界大戦中に設置した、強制収容所のうちのひとつ。
正式名称は、ルブリン強制収容所。
ポーランドのルブリン郊外に位置する。
アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所と同じく、強制収容所と、絶滅収容所の役割を兼ね備えた収容所。
規模は、アウシュビッツ=ビルケナウに次ぐ。
マイダネクには総計で50万人もの人々が収容され、そのうち36万人以上が死亡したという


ポーランド クラクフ一人旅 5日目-帰宅-



帰りも12時間の長距離、都市間、国際間バスの旅。

長い旅も今日で終了です。

朝9:50に駅前のバスターミナルを出発。

いつもより少しゆっくりして、お世話になった宿を出発します。


ドミトリーなんて、一体どんな場所なんだ。

若い頃に一度やってみたかったこと。

怖いものみたさで泊まってみた。

共同シャワー、男女同室12人部屋、4泊5日2300円。

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不安もありましたが、皆マナーよくすごしていたし

人も場所も居心地のいい共用スペース

何人かいたスタッフもとても親切で、よくわかっていない私が何度質問に行っても

いつも丁寧にやさしく説明してくれました。

私が宿に入っていくと、もう私の分の鍵を手に持って、立って待っていてくれたりもして。

ただ、しばらくはいいかな。という感じですが。



この旅行が始まってからの

後輩の友人の「クラクフ在住 日本留学経験のある ポーランド人」

に会えるかもしれないという話。

結局間に合いませんでした。

しばらく連絡をとっていなくて、なかなか連絡がつかったよう。

後輩は、なんとか連絡をとろうといろいろと周囲も働きかけてくれたみたい。

滞在中に彼女がクラクフに来た時、アウシュビッツに行ったときの

体験、思い、現在でも感じていること。

聞くことが出来たこと。

遠く離れた場所にいるのに、ぐっと距離を縮めて、近くに感じられたこと。

そんなものをシェア出来たことはとても嬉しい経験となった。

彼に会うことは結局はかなわなかったことだけど、

そういう可能性があると思ってすごせたことは

この旅をより豊かにしてくれた

そんな気がして、出発前、そのことを伝えるメッセージを後輩に送っておきました。



さようなら~。

宿のドア
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と、壁。19世紀の共同住宅を改装した建物。
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この交差点。右に進んで数軒行ったところが私の宿泊先。
右に行って、数軒行ったところが、この旅で出会って、昨日の夕食もともにした一人旅女子の宿泊先。

なんて偶然。
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毎日通った通り。遠くにバルバカン、フロリアンスカ門、そして、聖マリア教会のあたまがちょこっと見えます。
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駅までガラガラを引っ張って。


クラクフ駅。
けっこう立派。
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駅横のショッピングモール。
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スタバも。
そういえば、グラーツにないな。
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バスで飲むための、ペットボトルの飲み物を買ったお店で。
ホットドック用のソーセージを焼いていました。
自動でくるくるまわして、まんべんなく焼く仕組み。
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行きは、運転手さんに事前に購入していたチケットを見せるだけでよかったけど

心配なので、一応窓口で確認。

そしたら、なにやら国際ユーロラインの窓口へ行けと。

それって、どこ??

質問しても、プイッと「だから!!国際ユーロライン!!」って、場所を教えてくれません。

他の窓口は、英語通じないし。

困ったなー。

早めについたのに、結局時間がかかります。

最終的に、旅行代理店みたいな場所に行って、国際バスは乗り場が何番から何番で、そこに行けばいいと教えてもらいました。

もー、言葉が不自由というのは、本当に不便で心細い。

乗り場にいたら、近くのおじさんが私のチケットを見て(たぶん心細そうにしていたのだろう)

ここで大丈夫。私もそれに乗るよ。と声をかけてくれました。

来るときは、グラーツで、パスポートチェックがありました。

帰りは、乗る前に、バスの周りを警察犬みたいな大きくて黒い犬がくんくん嗅ぎながら回ってました。荷物入れのトランクの中も、何度も入って。



さー、出発です。

バスは、行きと同じような、二人がけの二列。

行きはすかすかだったけど、帰りはけっこう混んでます。

私がバスに乗り込むと、二人席は、もう一人づつ座っていて、空いていない。

大きなおじさんとか、怪しい若者の隣に座るくらいなら

小柄な子供の隣が広くていいかな。

そう思って、ママと子供二人の三人組。子供が一人で座っているシートがあったので、

ママに声をかけて(というかジェスチャーで)、座らせてもらうことにしました。


ママ含め英語が通じない彼ら。

巻き舌だから、イタリア語??ローマまで行くバスだし。

と思ったけど、ちょっと違うような。



何かで、子供が「DORAGON BALL」と言いいました。

おそらく、日本人といえば、漫画、、、漫画といえば、ドラゴンボール。

そんな配慮のできる年齢でもなさそうな彼ら。

日常的に見ているのでしょうね。アニメを。

「DORAGON BALL」と私も言ったら、「DORAGON BALL!!!」と。

言葉が通じないのに、共通言語で心が通じ合った感じ。笑

その後も、ノートを取り出し、ノートとペンを渡したら、絵を描いてくれて

「ドラゴンボール」用語と「ドラえもん」用語で、しばらく楽しく過ごしました。


「SUPER SAIYA」と
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わかるね。

丸い顔に3つ目を書いてあげたら
「テンスィンハン!」と。

丸顔に点を6つ書いてあげたら
「クリリン!」と。


そして、「ドラえもん」と「のび太」と。
ロン毛だなー、のび太君。
主題歌は現地の歌なのかな?ドラえもんを含むような歌詞だけど、知らないメロディでした。

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私が書いてあげたドラえもんに、ひどく興奮し

ママを大声で呼んで、見せてあげていました。

このレベルで…。すねお…。

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そして、ちびっこの書いた、ジャイアン。たしかに強そうだが。

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途中で、兄弟が席を入れ替わったりしていたんですが、弟君の書いたどらみちゃん。
ふふふ。
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12時間の長距離移動。

彼らのおやつのお菓子やバナナをもらったり、私が用意していたお菓子をあげたり。
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はしゃぎ疲れた彼らが、私の膝で寝たり。

なんだか、楽しい時間。

おやつをもらったときに、もしやこの巻き舌ロシア語?と思って

「スパシーバ(ロシア語でありがとう)」

と言ってみたら、子供も、ママも、そして、実は後部座席にいたおばあちゃんもびっくりしていました。
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大学生1年生(?)で選択していたロシア語。
週に2時間の半年。
ほとんど覚えていないけど、数字くらい。
「アジン、ドュバ、ティリッチ、ティリ…(1,2,3,4)」

あとは、電波少年を思い出して。
猿岩石だったっけ?
ドロンズだったっけ?

「ダー(はい)」と。


最後は、おばあちゃんとも仲良くなって、言葉も通じないのに、

おばあちゃんが自分も携帯電話の写メの、だんなさんの写真(ムッシュと言っていた)や、もう一人の娘らしき人の写真なんかを見せてくれました。


指輪を指して、結婚しているのか聞かれたようだけど
英語で返事しても通じないし。

たまたまiPhoneに結婚式の写真がはいっていたので
ママとおばあちゃんにみせてあげたら喜んでいました。

懐かしい。
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「japan?」とか「KIMONO!」と。


んー、いい時間だったな。



かわいいちびっ子
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私の首当てッションであそぶお兄ちゃん
元気!!
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途中に
ちょこちょこ泊まるバスターミナルで、free wifiがあるときがあるので
ロシア語アプリとか入れれたらと思ったけど
電波が十分じゃなくて残念。

これも、可能なら見せてあげたかったなー。

友人が撮った実写動画

スーパーサイヤ人


キャプテン翼




今回の旅行とは全く関係ないですが
彼らの撮った映像。
これ、すごく面白いですよ(。・ω・)ノ゙




二人がおとなしくしている間にちょっと読書。

持って来たのに、ぜんぜん読んでいなかった本。
ためしに読んでみたら意外と酔わない。
長距離バス移動の読書。意外といけます。

今回の相棒

宮部みゆき「孤宿の人」歴史もの。
宮部みゆきは面白いなー。

ちびっ子達は、ブックカバーをはずして、和風の表紙にも興味深々でした。
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子供と絵を描いたり

本を読んだり

うとうとしたり

ぼーっと外を。ひたすら続く東欧の平野を眺めたり
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グラーツには、21:00ころ到着。

彼らは、イタリアに入ったところにある、ウディナという街まで行くようでした。

ちょこちょこ街に寄って、休憩したり、新たな乗客の乗り降りがあったり。

短いと2時間ごとくらいに、小休憩を挟みながらの旅行。

そのたびに、外に飛び出し、息を切らしながらダッシュしていた彼ら。

グラーツに到着したとき、バスの中でお別れしたのですが、

下で預けた荷物を受け取っていると、わざわざもうもう一度一家で会いに来てくれて

私の姿が見えなくなるまで、バイバイと手を振ってくれていました。

なんだか、いい出会いだったなー。


そんなこんなで、帰宅。

お土産は
ポーランドのかわいいデザインのビール
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宿で飲んで美味しかったので
クノールのポーランドご当地スープのもと
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お土産やさんですすめられてつい買ってしまった
ポーランドのご当地のお酒

蜂蜜リキュールと、バイソンの食べる草の入ったお酒。
専門店だと、5000円くらいしていたのに
このミニボトル200円弱。買っちゃうよね。
あとで、調べたら、このバイソンの草のお酒は、ズブロッカというものらしい。
なんとなく聞いたことありますね。

桜餅のような、ほんのりと葉っぱの香りのするウォッカで、アップルとか甘いジュースで割って飲むカクテルがあるそう。
へー、知らないことがたくさん。

まだ飲んでいなくて、部屋に飾ってあります。
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留守番のだんなさん。
いつもより忙しく、連日帰宅が遅かったそう。
いつも前を通り過ぎて、二人で気になっていた近所のお店。
一人で、何軒か行ってみたそう。
意外といい雰囲気だったり、夜にジャズの演奏があるおばあちゃんがやっているアットホームなお店であることがわかったり。
今度一緒に行ってみようと。言っていました。

だんなさんも、彼の時間の範囲で、彼なりの冒険をしていたようでした。



始めての、一人旅。

戸惑うことも多かったですが、

人との出会いに救われ

とても、充実した、有意義な旅になったと思います。


自分の頭の中の情報が整理されきれていないのと

なんだか、まだかっかと熱くって。

文章もまとまらないし、

誰かに読んでもらうというより、見たもの、聞いたこと、感じたこと

忘れないように記録に残しておきたい。


膨大な量の記録になってしまいました。


また、いつか落ち着いたら

読みやすく整理できたらと思います。

ポーランド クラクフ一人旅 4日目-夜-


アウシュビッツの見学を終えて宿へ帰って来ました。

行きは2時間弱だったのに、帰りは2時間半くらいかかりました。

道路状況なのかな??


明日の朝のバスでグラーツへ帰ります。

旧市街は、昨日の夕方ちらっと見ただけ。お土産もまだ。

もう少し、旧市街を見ておこう。



ヴァヴェル城。

夕日がきれいだったから、最後に見ようと思ったら、閉まってしまった。残念。

入り口通路まで。

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しょうがないので、城の下で、川を眺める。
いい夕日。

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この川、宿泊用の船、レストラン用の船が停泊しています。


川辺から見上げた城。
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また、広場へ戻ります。

何かユダヤ人関係、戦争資料の展示。

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ペテロとパウロ教会。
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週に2回だか3回だか、夜20:00から教会でコンサートをしているそう。
素敵だなー。こんな教会でコンサートだなんて。
チケットも2000円くらい。
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もっと早く知ってて、一人旅じゃなかったら、行ったかもしれないな。
夜遅くは怖いから。20:00からのコンサートはちょっと無理。
グラーツでも、教会コンサートあったら行ってみたいです。
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最後の中央広場。
アウシュビッツ行きのバスで知り合った、日本人一人旅女子。
一緒の夕食の予定。ここで19:00に待ち合わせ。
お互い連絡をとる手段がないので、遅刻禁止。時間厳守で。
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ガイドブックに載っていたという、おいしくて、安いというお店に。

お互い2品ずつポーランド料理を。
私は、

ジューレックという、麦のスープ。
少し酸味があるけれど、美味しい。
野菜と、ソーセージとゆで卵を刻んだものが入っています。
ボリュームあります。

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それと、ロールキャベツ。

小さいのがいくつかかと思ったら、巨大ロールキャベツでした。
美味しかったです。
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相棒のパリっ子は、

ポーランド料理

餃子みたいな「ピエロギ」

「ポテトパンケーキ」
を注文

こちらも山盛り。


ふたりでおすそ分けし分け合って、食べました。


それぞれポーランドのローカルビールを。

よい旅と、出会いに乾杯。

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一品でも食べきれないほどのボリューム。
それを二品も。

それにビールも頼んで

ひとり1000円しませんでした。物価が安いポーランド。


最後に記念撮影。

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この旅行の便利アプリ。
ネット環境になくても使えるcity map 2Go



そしてもうひとつが
instaflash

無題


このアプリも役にたったので、ちょっと紹介。
写真の補正アプリです。

上の写真、まあまあきれいに見えるんですが

最初に撮ってもらったのはこんな感じ
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ひどいですよね。
まっくろで、人がいるのがやっとわかるかどうか。

instagramみたいな、どんな写真もスモーキーにして、おしゃれにしてしまうアプリはけっこうあると思うんですが

暗くなってしまった写真をきれいに、
明るく補正してくれるアプリです。

こんな感じ
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思い出をきれいな形に残せて満足。




途中まで一緒に帰ろうと歩いていたら、たまたま、宿もすごく近く。

偶然にびっくりしながらお別れ。

ほんとうにいい時間でした。


毎日朝早くから活動していたけど

明日は、9:50に駅前バスターミナル出発のバス。

ゆっくりできそうです。


おやすみなさい。

ポーランド クラクフ一人旅 4日目-アウシュビッツ3-

2/24-2/28のポーランド旅行の記録です。


アウシュビッツ第一収容所から、第二強制収容所 ビルケナウへ移動します。

ここはとても広く、総面積は1.75平方キロメートル(東京ドーム約37個分)で、300以上の施設から成ります。ピーク時の1944年には90,000人が収容されていました。


アウシュビッツ施設のガイド。
とても気さくな雰囲気の中谷さん。
移動のバスで、たまたま近くになり、私たちに話しかけてくれました。

もともとポーランドとはゆかりはなく、
寝具の会社の会社員で
神戸の生まれだと話していました。


「もっと悲惨な雰囲気の場所かと思っていたら、建物がとても立派で、整然としていて、意外でした」

そう言うと

「当たり前だよ。ドイツがそんな適当なものを作るわけないよ。とても、建築技術が進んだ、知的レベルのとても高い、プライドもとても高い国だったんだよ。けれど、そんな国が起こしたことなんだよね。だからこそ、経済が不安定になったとき、失ったと感じたものが大きいと思ったんだろうね。」


そして、一つ気になっていたことを質問。

映画「シンドラーのリスト」
アウシュビッツのシーンがあるのですが、施設内の撮影は行わず、施設の近くにセットを作成し、撮影したそう。

そして、日本で有名な、「白い巨塔」の財前教授がアウシュビッツの施設内を歩くシーン。
ドキュメンタリー以外で、この施設内の撮影を行ったのは、これが最初で、唯一のものなのだそう。
とても興味深いドラマだし、とても印象的なシーン。
ただ、日本のドラマだけが。というのは、なんだか違和感が。

その理由を尋ねてみると。

「以前、著者の山崎豊子さんもここを訪れて、ガイドしています。日本のスタッフが熱く相当頑張って交渉したのでしょうね。
とても寒い、人のほとんどいない早朝の撮影でした。

シンドラーのリストのスピルバーグ監督はここでの撮影をしていません。それは、ここでの被害者への、配慮なのでしょう。スピルバーグ監督自身も、ユダヤ系の方ですし。

ただ、番組の宣伝に使うのは、あまりよくないことかもしれませんね」

そのように話していました。

事実を穏やかに、そして淡々と話す中谷さん。

決して、否定や批判は口にしません。


ここは、ガイドマイクなしでの案内でした。

とても、広大な敷地。

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とても有名なこの風景。

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これは、施設の内側からの風景。
貨物列車に乗せられた人々を、敷地内まで運び込む、引込み線。
この建物の向こう。
線路はヨーロッパ中につながっていました。


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線路に沿って、施設の一番奥まで歩きます。
この奥の林。そのあたりに、ガス室の跡があります。
たしかその距離900m
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車椅子で見学に来ていた人の姿
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これは、実際にここへ収容する人を乗せて来るのに使用された貨物列車。
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ここへ着くと、人々は下ろされ
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医師に、働けるか働けないかの判別をされました。
顔色だけで。
真ん中に立って、右側を指差しているのがそう。
ここへ来た人々のほとんどが、ガス室へ送られ、命を落としました。
あまりにたくさんの人を送り、収容するスペースがなかったそう。

本来命を救う職業の医師。
このような命の選別の役割をここでは担っていました。

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まさにこの場所。
上の写真とほぼ同じアングルですね。
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そして、写真の後ろに映る建物は、これです。
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長い道のりを歩いているとき。
写真や地図で見て、広いとは思っていたけれど
実際に自分の足で歩くと、本当にとても広いのだと実感します。

疲れたなーと、何も考えずに歩いていたとき

中谷さんが一言

「実際に歩くととても長い距離でしょう。列車から下ろされた囚人達は、この長い距離。何を考えながら、ガス室へと向かわされたのでしょうね」
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引込み線の端
最初に見えていた建物が、もうわからないほど。
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慰霊碑があります。
平和式典などは、ここで行われるそう。
被害にあった人々のいた各国から、それぞれの国の言語で文章が書かれた石碑がありました。
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ただ、ユダヤ人は国を持たないので、石碑はないのだそう。
なんだか、はっとさせられることばかり。
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これは英語のもの。


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“FOR EVER LET THIS PLACE BE
 A CRY OF DESPAIR 
AND A WARNING TO HUMANITY,

WHERE THE NAZIS MURDERED
ABOUT ONE AND A HALF
MILLION
MEN, WOMEN, AND CHILDREN,

MAINLY JEWS
FROM VARIOUS COUNTRIES
OF EUROPE.


AUSCHWITZ-BIRKENAU 1940 - 1945”


「ヨーロッパ各国から連行された、主にユダヤ人から成る約150万人の男性・女性・子供をナチスが殺害したこの場所が、永遠に、絶望の叫びと人類への警告とならんことを

アウシュヴィッツ-ビルケナウ 1940 ‐ 1945」


資料が処分されたり、証拠がはっきり残っていないため、
被害者の数ははっきりとはわかっていないそう。
現在の研究では、110万人から170万人と言われています。
ここには、約150万人と記されています。
途方もなく、大きすぎて、想像しにくい数。




時間の経過とともに問題となっていること。
ひとつは施設の保存。
劣化し、朽ちていく施設を
いかに保存していくか。
補強されています。
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そして、もう一つ。
伝える人の人材。

この施設は、終戦から3年後。
ここへ収容され、生還したユダヤ人たちの声により残されました。
また、当時のガイドは、すべてが生還したユダヤ人だったということです。


ソ連により解放されたという名の
共和制。
スターリン体制。
自由はなく、発言の自由もなかった。


その中でも、ユダヤ人たちの、「ここを残す。」という強い意志と、その声はとても強かった。
そのおかげで、この施設は残っているのだそう。


現在、時間経過とともに、
ここの収容を経験した人、年老いていき、少なくなっています。
現在この施設のガイドは270人いるそうですが、すべてがこの戦争を経験していない人だそう。


ただ、ガイドたちは
当事者の話を聞き
学習をしている。
ガイドのトレーニングを積んでいる。

また、当事者だからこそわかることもたくさんあるけれど
当事者だからこそ見えなくなっていることも多いかもしれませんとも。

感情的な部分など。

ドイツが憎くて、見えなくなっている部分もあるかもしれないと。

経験していない人が、語るガイドの賛否について。
可否について、世界中の戦争の資料館などで問われているそう。
たとえば、日本の広島原爆資料館も。


アウシュビッツは、年々見学者を増やしている。
それは、その施設のガイドの方法がうまくいっているという、証拠ではないだろうか。
そんな風に話していました。

中谷さんは何も言っていませんでしたが
ここのガイドになるための試験は、とても難関だそうです。


ガス室跡地。
ビルケナウには、合計3つのガス室がありました。
ドイツは、ここをダイナマイトで爆破し、証拠を消そうとしましたが、
ソ連の進行がとても早く
逃げる前に、破壊しきれなかった。
それで、このような形で施設が残っているのだそう。

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ガス室横には、焼却所で焼いた囚人たちの骨が捨てられた場所があったという。
ドイツ人が殺し、焼いたのではなく、精神的に辛い仕事は囚人達の役割だったそう。罪悪感を感じないためのシステム。

焼却所の写真
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天気がいい。
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施設の境目。高圧電流が流されていた有刺鉄線
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当初レンガ造りだった建物。
戦況の悪化とともに、木造に変更されていきます。
木造の建物の、木材は、戦後、解体され、暖房に使用されてしまったのだそう。

現在残るのは、
暖炉の煙突のみ。
広い敷地に、煙突のみが、多数点在します。
異様な光景。
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これは、レンガ造りの建物。
入ってみるとこんなに晴れていても、ぞくっとするほど寒く、驚きました。
当時、-20~30℃ともなった環境。
薄い囚人服での環境は、とても苛酷だったと思います。

不十分な食事
寒さや不衛生
過酷な労働
劣悪な環境に1ヶ月ほどで命を落とす人が多かったそうです。
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この3段ベッド。
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それぞれの段に7人くらいづつ収容さていた。
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暖房なしでは、ほんの数日で全員が命を落とすほどの寒さだったそう。

たまに暖炉の火がつけられることも。
それは、全員が死んでしまっては、労働力がなくなってしまうから。
施設の中の建設。
そして、周囲に秘密工業地帯が建設され
今でも存在する、大手企業が、ユダヤ人を労働させていたので。
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アンネの日記のアンネフランクも、このビルケナウ収容所に収容されていました。
12歳以上は大人とみなされ、
健康と医師に判断されれば、
生きる権利を得、辛い労働につかされた。

アンネはここで数ヶ月すごしたのち
別の収容所でへ移動。
そこで、チフスに罹患し命を落としている。
終戦の直前であった。

アンネの日記は、同じ隠れ家暮らしていたなかで、
唯一生還したアンネの父親が自宅で発見。
知人に私家版として配ったものが、評判となり、出版されたのだそう。



これは、施設の保存のためなのか。補強のようなもの。
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パンなど食事をくばるための車
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強い日差し。

広い施設を進みます。
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このように、
施設は、囚人たちの手によって作られていました。
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当時の写真
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再現された木造の建物
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すきまだらけでも
木造の方がまだ暖かい
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これはトイレ。
食事も、衛生環境もよくなかった。
トイレは、一日2回。一人20秒だった。
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この建物は、ユダヤ人の収容のためとして設計されていません。
馬小屋として発注されています。
証拠を残さないため。
そして、馬をつなぐための設備まで備えて。

馬57等分のスペースに、人間が1000人収容されていたそう。
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3時間の見学はこれで終了。
最初の建物に戻ってきました。

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トイレ。私たちは、生きているのですね。
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施設を振り返って
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ここにもあがれたよう。
第一収容所へ戻るバスの出発が迫っていたので、そのままバスに乗りました。
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建物の外側の線路
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施設の外から。
ここから、中につながっている線路。

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枯れた花
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バス停は目の前
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第一収容所へ到着。
中谷にさんは、この後すぐ、次のガイドの予定があるとのことでした。
なんだか、余韻もなく、あわててお礼を伝えて、お別れになりました。
感激している私達でしたが
さらっとしている中谷さん。
「じゃあ、バス停はあっちだよ」
と、行ってしまいました。
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10:30からのガイド。
14:00にビルケナウを出発し、14:05に第一収容所へ到着。

14:10にアウシュビッツを出発するバスでクラクフへ戻りました。

もう一度、ゆっくり施設を見てみたい気持ちもあったのですが
バスの本数が少ないこと。
所要時間もけっこうかかることから
これに乗って帰りました。



ここへ来てみて。

来る前に持っていたイメージ。

見学後は、悲惨な、負の遺産ともいえる過去の資料に衝撃を受けるのだろう。
悲惨な生活環境、殺戮の記録。
亡くなった人への思いと、生きている自分。
決して変えられない過去。
何も出来ない無力感。
それを実際に目にすることが、この歴史を繰り返さないことにつながる意味なのだろうと。


けれど、実際に見学してみて


しかし、そうではない、それだけではない。
そう思った。


このような出来事が起こったのは
特別な人の手による
特別な出来事ではないだと。

リーダーがいたとしても、
それを選んだのも、それを支えたり、黙認したのも、普通の人々。
ひとりひとりの認識。


社会的な不安定さから、生じてしまった
ちいさなひずみ


誰もが持つ
心の中の暗い部分。
当たり前の性質から、
にんげんのさがのようなものから起こり
スカレートしてしまったことなのだと。



遠くにある衝撃的な出来事ではなく
自分の身近に、もしかしたらすぐにでも起こりえる
可能性のある出来事なのだと。


知ることだけではなく、これから起こらないために
きちんと事実を認めること。
向き合うこと。
そして、なぜおきてしまったのかきちんと考えること。
そして、それがおこらないための仕組みづくり。


現在の大人だけでなく
将来を担う
子供たちにも伝えていく仕組みづくり。


ヨーロッパでは、暗い過去をいったん認め
そして、前へ進もうとしていることが
伝わってきた。



施設の見学だけでは、ここまでの感想は持たなかったであろう。


本当にここへ来て
実際の目で見たこと
中谷さんの説明を受けられたこと


とてもよい経験が出来たと思っている。



そして、このガイドツアーの中
十数人のメンバーの中に
ワルシャワ大学の日本語講座の大学生 ポーランド人の女の子が2人含まれていました。

主に中谷さんの語りを聞きながらの見学で
休憩時間もなく、すぐに解散だったため
彼女達の語りを聞く機会はなかったのですが

中谷さんが、「ポーランドの人がここにいる状況で、ここの見学をするというのは
日本人だけで見学するのとは、想像する気持ちが違うと思います。
ユダヤ人だけでなく、ここでは多くのポーランド人もまた犠牲になりました。
また、この施設の中は特にひどい環境でしたが
この外も、ドイツ軍に占領され、ポーランドの人々はとても辛い思いをしました。
ドイツの降伏により、解放されたとはいえ、ソ連の支配下。
共産主義となり、自由のない生活。
1988年にようやく民主化しました。血を流すことなく、民主化したこと、そして、現在自由があるということは、奇跡といってもいいのです。」

そんな説明に、彼女達は、静かにうなづいていました。





朝のコーヒー以降何も口にしていなかったので
ジュースを買いに売店へ。

各言語に翻訳された、ガイド冊子。
日本語のもあったので、買いました。
150円くらい。
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見学途中は、皆、だまって中谷さんの説明を聞いていました。

来る途中のバスで知り合った彼女とも、

ばらばらにそれぞれの思いで、

それぞれの歩みと、それぞれの距離で

見学しました。


帰りは、彼女と一緒に。
バスの隣同士の席に座り2時間の移動。


私よりだいぶ若く
年齢も、仕事も、経験も
ぜんぜん違う彼女


彼女と、この見学での、それぞれの思い。
言葉にして、語り合える人がいることのありがたさ。

ここへ来たきっかけ。

見学してみての感想。

それと、それ以外の話も。

フランスにワーホリ中という彼女。

以前の自分と、海外で暮らしてみての自分の変化など。

お互いの国での生活について。



すごく、有意義で楽しい時間でした。


それぞれ、明日の朝、帰国予定。

今日のうちにやりのことしたことがあるので、

クラクフについたら、自分は何をする、どこへ行く予定。

そんな話をしつつ

夕食は、待ち合わせをし、(携帯がなく、連絡を取り合えないので!)
再集合して、一緒に食べることにしました。

良い出会いに感謝。



中谷さんへのガイドについて
所要時間は、第一、第二収容所合わせて約3時間
費用は、人数に応じて分けるので人数によって異なる。
開始時刻もその日によって異なる。

直接のメールのやり取りで予約できます。


中谷さんの連絡先などのホームページはこちら
http://www.e.okayama-u.ac.jp/~taguchi/hito/nakatani.htm
e-mail: nakatani@wp.pl


中谷さんwiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%B0%B7%E5%89%9B


中谷さん書籍










アウシュビッツ=ビルケナウ収容所公式サイト
http://www.auschwitz.org.pl/



シンドラーのリスト
wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88

DVD

シンドラーのリスト スペシャル・エディション [DVD]
リーアム・ニーソン
ジェネオン・ユニバーサル
2012-04-13






劇場予告


動画

赤い服の少女






私が幼少期に読んだ書籍

アンネの日記 (文春文庫)
アンネ フランク
文藝春秋
2003-04











あのころはフリードリヒがいた (岩波少年文庫 3100)
ハンス・ペーター・リヒター
岩波書店
1977-09-16




ぼくたちもそこにいた (岩波少年文庫)
ハンス・ペーター リヒター
岩波書店
2004-08



若い兵士のとき (改版) (岩波少年文庫)
ハンス・ペーター・リヒター
岩波書店
2005-07-16





杉原千畝物語
安藤富雄
三友社出版
2004-02




68e73b997346702fe8f8580f324c5be4
ローズ・ブランチュ (世界・平和の絵本シリーズ (2)) [大型本]

クリストフ・ガッラス
平和のアトリエ
1990-03



エリカ 奇跡のいのち
ルース・バンダー ジー
講談社
2004-07-14



トラップ一家物語 (特選 世界平和の絵本)
ハンス ヴィルヘルム
平和のアトリエ
2002-07





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