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あと少しで40000かぁ。
続けるもんだなー。
こんな私でも。
ポーランドへの一人旅。
うまくいくことばかりではなかったけれど
思っていた以上に得られたものが多かった旅。
日本にいては、なかなか行けない場所へ。
次に選んだ場所は、旧ユーゴ諸国でした。
長距離バスを乗り継いで、国を、歴史を、人を。
巡る。
とてもよい旅でした。
クロアチア ドブロヴニク
魔女の宅急便のような海に浮かぶ赤い屋根
ボスニア・ヘルツェゴビナ サラエボ
第一次世界大戦のきっかけとなった、オーストリア皇太子暗殺の現場。
サラエボオリンピックの後、大きな戦争があった。
オリンピック跡地が、大きな慰霊碑になっていた。
セルビア ベオグラード
NATO空爆跡 現在も生々しくその姿を残す。
クロアチア ザグレブ
かわいらしい教会
クロアチア 【ドブロヴニク】
風景ばかりみていて、お土産はほとんど見ていなかったこの町。
カラフルできれいな形の蝋燭がたくさん売っていた。出発直前の早朝に。
クロアチア国旗だろうか
アロマオイル。 ご当地のものではないだろうに。
一時は紛争で破壊されていた世界遺産。現在はだいぶ復興していて、美しい姿を取り戻していた。
こんなものをお土産にしている時点で、これから栄えていく観光地なのだろうと感じる。
ボスニア・ヘルツェゴビナ 【スレブレニッツァ】
スレブレニッツァのジェノサイドの跡地。
あの紛争中。8000人以上の市民がほんの1週間程の期間に虐殺されたという土地。
旅日記はこちら
一日がかりだったが、長距離バスで慰霊碑へ。
車もほとんど通らないこの町。慰霊碑の前に小さなお土産屋。
とてもお土産を買う気にはならないような場所だが。
当時の資料、文献が多く売られていた。それならわかるか。
スレブレニッツァと書かれたTシャツ。とても着る気にはなれない。
ボスニア・ヘルツェゴビナ 【サラエボ】
20年前 旧ユーゴの独立の際の紛争。
まだ、町並みには爪痕が残っていた。
旅日記はこちら 1、2、3
紛争時の戦況図。サラエボ市内のもの。
これが、まだお土産として売られている。
彼らにとっては、これはまだ続いている出来事なのだ。
ネットでの事前学習では理解しきれなかったこと、この戦況図を見ることで、更なる理解につながった。
サラエボ市内、
これも、戦況図。旧ユーゴ全体のもの。
サラエヴォオリンピックのマスコットキャラクターのグッズがまだ売られている。
30年前から脱出できていない、この都市を感じる。
20年前の戦争であるが
まだ建物には、銃弾の後が数多く残されていた。
銃弾の跡があっても、この家には暮らせる。ということだろう。
ただ、観光の中心となる場所はとても雰囲気があり、
面白い場所だった。
雰囲気のある石畳と、銅製品。
手作業のレリーフがとてもかわいい。
コーヒーセット。
ボスニアでは、各家庭に1セット必ずあるものだとか。
コーヒーを入れる容器。大きさがさまざまなのは、人数に応じて使い分けられるように。
大家族は大きいものを。
コーヒー豆引き。
食器と蓋 レストランでは、この蓋をして食事が運ばれてくるのが、嬉しい。
かわいいスプーン
お店で出てきたコーヒーの容器はシンプル
木製品。
何かわからないけど、色合いがオリエンタルでかわいい。
銃弾で作った、キーホルダーとペン。
これが、日常なのか。
水たばこ
トルコとなんとなく似ているなー。
かわいい!これ、すごく欲しかったのに、タイミングを逃して買いそびれてしまったもの。
ドアの取っ手
ピアス
小物入れ
ランプ
伝統的な雰囲気のものは、どれも見たことがなく、オリエンタルでかわいらしかった。
ご当地Tシャツはいらないな…。
Iラブサラエボ,サラエボ五輪のキャラクター、コカコーラのパロディ、ボスニア語、ボスニア国旗。
ご当地料理。
パイのような生地に肉やイモが包まれた棒状のパンのようなもの。
それを、下のような釜で焼く。
ブレドというもの。
これを1人前買って、夜に宿で食べました。
スーパーで。コーヒー豆もボスニア的なパッケージ。
インスタントコーヒーも。
ボスニア市内でたまたま出会った、スレブレニッツァの写真展。
常時開催されているものだったよう。
知らなかったのに、ここに入れたのは、運命的に導かれたような感じがしました。
写真集も売っていたんだけど、1冊1万円。
とても重かったし、高価。
600円程度のポストカード集を購入しました。
写真展の写真は、どれも、その当時の、もしくは、現在にも残されているリアルな空気感が切り取られているようなものでした。
誰かに、記念に手紙を書きたくなるような写真ではなかったのだけれど、
ここで感じた衝撃を、気持ちを忘れたくなくて、購入しました。
あのジェノサイドで家族を同時に15人も失ったという女性。
事件後の遺体を収めた棺。
これはほんの一部。
国連スタッフの落書き。
国連 United Nation ではなく
United Nothingと。
生と死
同じくジェノサイドと認定された、ユダヤの虐殺。アンネの写真を見つめる人。
生還した少年。
ポーランドように観光の準備はあまりせず
到着してから、市内マップを入手して観光したような都市。
でも、面白い都市でした。
セルビア ベオグラード
ボスニアの隣国セルビア。
銃痕もなく、整備された、かなりきれいな町並み。
でも、観光名所やお土産はあまり見られませんでした。
セルビアというと、物騒なイメージがまだあり、人々は観光にはなかなか向かわないのかもしれません。
カラフルな靴紐。
国旗。
路上のお土産屋?
どれも、あまりぱっとしなかった。
イスラム用の帽子だろうか。
ジュータン。
いい雰囲気の柄ではあるが、ほしくはならない。理由はなぜなんだろう。
駅にて。
なんとなく、セルビアを連想する服装の人形。
クロアチア 【ザグレブ】
最後に寄り道した都市。
日本ではあまり知られていないけれど、クロアチアの首都。
ヨーロッパにも近く、近代的で、こじんまりときれいな都市でした。
半日でぶらぶら観光するのにぴったりな、面白い都市でした。
一番のお目当て、サンマルコ教会のポストカード。
上のサラエボと比較しても、明るい。
今、思うと、日本では行こうとなんてさらさら思っていなくて
現地で急に思い立った土地。
これから、自分の人生で
再び訪れるのかもわからない土地。
そんな場所へ行けたこと。
今となると、なぜその決断が出来たのかわからないけれど
旅の神様が降りてきてくれたんだろうなー。
決断して、そして、準備して
行くことが出来て本当によかったです。